にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

自分と他人との境界が曖昧であるゆえの辛さ

自分と他人との境界が曖昧(自他の区別がつかない等)なために「自分の考え=他人と同じ」「自分の価値観=他人も同じ価値を持つ」 と考えがちな人が世の中には一定数いると思います。

そして、私も他人との境界が曖昧なために、過去に生きづらさを抱えていたと自認しています。

それが、今は「他人との境界」が(何となく)わかるようになったためか、形として目に見えずらい人間関係も特に辛さを感じることもなくなっているのだから不思議なものです。

どうして「他人との境界」がわかるようになったのかは、自分でははっきりわからないのだけど、やはり「自分と他人との境界が曖昧」という概念を知ったことが大きかったと思います。

大多数の人は、わざわざその概念にふれなくても、成長過程の中で自然に学んでいくようですが、そうだとすればそれは羨ましい限りです。

  

相手の対象が自分でなくても、自分のことのように受け止める

長女も他人との境界が曖昧になりがちで、その様子をみると、人間関係をこじらせた過去の私が思い出されて不安になります。同じ道を歩むのではないかと。

ついそう考えてしまうところが、私の境界線の薄さだと思いますが、長女は私と生育環境が違うし、いわゆる療育を受けている訳ですから同じ道を歩むわけはないですよね。

 

長女がどのように他人との境界が曖昧であるかというと、

・他の子が怒られているのに、不安がったり怖がったりする。

例えば先生の怒りの対象が自分ではなく他の子だ、という完璧な区別がないために、先生の怒りを自分のことのように受け止めてしまうようです。

家庭でも私が次女を怒っている時には、耳を押さえることもあるので、気をつけなければなりません。

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そういう私も、昔から映画やドラマのスプラッターなシーンやスリリングなシーンはとても苦手で、映画の人物が殺人鬼により身体を切り刻まれれば、まるで自分が切り刻まれたような感覚に陥り息も絶え絶えになり、スリリングなシーンでは先がわからない恐ろしさに耐えられなくなり見ることをやめますww

これが他人との境界が薄いことに関係あるかはわかりませんが、映画やドラマの人物と自分を同一化させてしまうので、内容によってはほとんど楽しめないどころか死ぬ思いをしますね。。

 

とは言っても、以上のようなことが原因で「辛さ」を感じることはなく、やっかいなのは次の問題。 

 

 

自分の考えを他人も当然知っていると考えている

長女の場合、自分の考えは当然他人も知っているという前提で話すので、言葉が足りず、話の内容がチンプンカンプン。

そして、自分の考えは当然他人に理解されるものと考えているので、受け入れられない、理解してもらえない場合、拒絶された、責められたと考え、相手に対して悪感情を抱きます。

こういった場合、人間関係のトラブルがおきます。

 

先日、児童デイサービスに通所中の長女におこった出来事です。

小学校低学年から中学年の児童5人程度とスタッフ数名であるゲームをしていました(療育プログラムとしてのゲーム)。

ゲームが大いに盛り上がり、長女を含め全員が楽しんでいましたが、ゲームを終了させなければならない時間が迫っていました。

長女は、残り時間少ない中、少しでもたくさんプレイしたかったがために、効率よくゲームが進行するようなマイルールを周囲に提案もせずいきなり実行し、ゲームを混乱させました。

すぐにスタッフが長女に本来のゲームのルールと異なることをしているのでみんなが困っていると長女に説明しました。

しかし、長女は、そのマイルールでゲームをすれば「自分だけではなく、みんなもたくさんプレイができる」という理由で納得できなかったようです。

 

他人との境界が曖昧であるために「自分の考えが最良の案であると他人も理解して当然」だと考えてしまったようです。

 

私は、児童デイサービスのスタッフからこの出来事について報告をうけた後、長女と話し合いました。

「自分の考えた方法でゲームをすることはゲームのルールを守っていることになる?」

長女「ならない。」

「じゃあ、どうして自分が考えたやり方でゲームをしたの?」

長女「たくさんゲームをしたかったから。」

「でも、ゲームのルールを破ったら、お友達はゲームが楽しくできないかもしれないよ。」

長女「でも、みんなもたくさんゲームができる方法だから悪くないと思う。」

「長女ちゃんの方法でゲームをしたら、みんなから何か言われなかった?」

長女「注意された。」

「じゃあ、長女ちゃんのやりたかった方法が、良いやり方だと思わなかった人もいるかもしれないね。長女ちゃんにとっては良い方法だと思っても、お友達はいつものルールでやりたいと考えていたかもしれない。」

長女「でも、そのやり方は絶対いいんだもん。」

「絶対いいと考えているのは長女ちゃんの気持ち。お友達は別の気持ちだから、お友達の気持ちも大切にした方が良いんじゃないかな。」

長女「じゃあ、長女ちゃんの気持ちは大切じゃないってことなの!」

*この長女の発言で、長女の他人との境界が相当曖昧であることがわかったので、大いに焦りました。

「もちろん、長女ちゃんの気持ちはみんな大切に思っているよ。じゃあ、そもそもゲームは何のためにルールがあるの?みんなで楽しくゲームをするには最初に決まったルールを守らなければならないと思うよ。どう思う?」

長女「そう思う...」

「みんなは長女ちゃんの気持ちを大切にしていないのではなくて、ルールを守ってゲームをしたいと思っているだけじゃないかな。」

長女「.....」

 

あまり長く話しても混乱するだけなので、これで話はやめました。

長女が納得できたかどうかはわかりませんし、この説明で良かったのかも疑問です。

今は「ルールを守らなければ、みんなが困る」という点だけでも理解できればいいと思っています。

 

「自分は他人に理解して貰えない」という勘違い

自分と他人との境界が曖昧であると

「自分は正しいことを言っているのに、みんなは理解してくれない=みんなが間違っている。みんなは私のことを嫌っている。」

と謝った考えを持ち、これが人間関係のトラブルに発展したり、孤独感にさいなまれることに繋がります。

実際、私は子ども時代にそのような経験をたくさんしました。

他人からみたら、良くわからない理由で私に悪感情を抱かれ、不快だったでしょうね。

一方の私は「友だちに嫌われている。なんでそんな扱いを受けなきゃならないんだろう。どうして話しを聞いて貰えないんだろう。」と悩みに悩んでいました。

この時期は、本当に辛かったですね。

それだけに、長女には他人との境界を意識できるよう成長して欲しいと願っています。

 

おわりに

それでは、どうすれば、長女に他人との境界をわかってもらえるのか?

他人の気持ちを想像しにくい長女には「他人には別の気持ちがある」と言ってもピンとはこないでしょう(まだ小一と年齢的に幼いですし)。

「他人と同じ気持ちにならなければならない」と誤学習しても困ります。

 

そこで、日常生活の中で

「自分も相手も何を考え、発言・行動しようと自由であり、その人固有のテリトリーがある」*相手に迷惑を及ぼすような言動はもちろんNGですが。

ということは伝えたく、次のことを心がけています。

 

・自分の持物とその他家族の持物を区別して扱ってもらう 。

人の物を勝手に使わないよう注意することが多いですね。

 

・長女に意見する時、反論する時は「長女ちゃんの考えはそうなんだね。ママの考えはこうだよ。」と説明する。

〜上から物を言ってしまうことも多いので意識して気をつけていますww

 

自分の気持ちや物を大切にしてもらえると「相手の気持ちや物も大切にできる」ということでもあるかもしれません。