「発達障害」と「情緒(愛着)の問題」〜支援会議での支援方法の統一
先日、本ブログの「愛着障害」をトピックとした記事のアクセス数が急激に伸びて驚いたのですが、どうやらNHKで「愛着障害」について特集されたことに関係あったようです。
この番組では愛着障害の専門家、アメリカのテリー・リヴィー博士が修復的愛着療法に基づくセラピーを愛着障害を抱える子ども及びその両親に行った様子を放送したようですね。
去年の秋、私はテリー・リヴィー博士による修復的愛着療法のセミナーを受けました。
その頃、私は支援者から長女に情緒の問題があると言われ、それがいわゆる「愛着」に関わることだと知り「愛着障害」について勉強をしていました。
結局、リヴィー博士が行うセラピーの対象者は所謂悲惨な体験(虐待、ネグレクト等)をした子どもだったので、私たち親子に直接参考になるような内容ではありませんでした。
けれども、このセラピーが子どものみを対象としたものではなく、親子セットで行われるものであり、必要に応じて親が自身の愛着について内省したり、または夫婦関係を修復するプログラムがあるということは、長女の情緒の問題を考えるうえで、参考になりました。
長女の情緒(愛着)の問題
2年前頃から長女について「気持ちがわからない」「ちょっとしたことで怒る」
と悩むようになりました。
それが去年の春に長女がASD(自閉症スペクトラム)と診断され、長女が感情のコントロールがきかないのは発達特性によるものだと納得しました。
ところが、縁あって通うようになった大学の発達心理相談室の教授から
私が困っている問題は「発達特性というよりは情緒(愛着)の問題ではないか」
と指摘されました。
*だからと言って、長女にASDの障害特性がないという訳ではなく「長女が感情のコントロールが上手くいかない部分は情緒の問題が大きい」ということだと思います。
愛着形成において不全状態にある子どもたちは次のような特徴があるようです。
頻繁に情緒的に不安定になり、気分がゆれて予測がつかない。
学校でも昨日と今日とで気分が全く違い、別人のようだと言われることもある。
養育者から長い問拒否されたり避けられてきたために、感情を確認したり外に出したりするという方法がうまくとれず、自分を制御したり癒す方法もわからない。
そのため、一度泣き出したらなかなか自分からは泣きやむことができないというのも特徴の一つである。
子どもたちの反応は0か100かとでも言うように 激しかったりあるいは全く何もないように振る舞ったりする。
参考:藤岡孝志『愛着障害の視点からの被虐待児に対する援助・治療プログラムの開発』
長女がこれらの特徴を全て備えている訳ではありませんが、恐ろしく不機嫌で感情の制御ができていない時もあるかと思えば、別人のように情緒が安定し、周囲の人に気配りができる程余裕がある時もあります。
こういった状態が常態化しているので、何が本当の長女が私にもよくわからないのです。
長女の情緒(愛着)の問題を指摘した教授は、
・長女の問題を発達障害特性と扱っては問題の解決に繋がらない。
・長女の情緒を安定したものにするためには、長女が安心できる場を作ることが大切
だと考えているようです。
長女の問題行動を発達障害特性として扱ったとしても「長女が安心できる場を作ること」自体は否定されないですし、むしろ積極的に取り組むことです。
主治医も「愛着の問題があったとしても、それはかなり長い年月をかけてみ診ていかなければわからないので、今はわからない」と言いました。
そのため、愛着の問題があってもなくても発達障害であることを前提に今受けている支援の内容が否定されることはないようだし「特性の由来を突き詰める必要はない」と考えていました。
支援方針の統一
私が愛着の問題にやや逃げ腰であるのをみて、教授はこう言いました。
長女ちゃんの問題行動が、認知(発達)の問題なのか、情緒(愛着)の問題であるのかを見極めるのは今後重要な問題だと考えている(両方の可能性があることは否定しないが)。
今後、長女ちゃんが自分自身をどう捉えるのかに関わってくるから。
しかも「障害」という事実は非常に重く、長女ちゃんに発達障害があったとしてもその程度が軽度であるゆえ、必要に応じて長女ちゃんが「裏(発達障害)の顔」をもつことにも繋がり、それは長女ちゃんの育ちに悪影響。
それは問題だなと私も思いました。
しかも、この頃主治医さえも「(長女の)診断を消すこともあり得る」と言い出したこともあって、もう何が何だかという(結局その話はうやむやになりましたが)。。。
そうこうするうちに、長女は今春入学。
5月には早速長女の支援方針を統一することを目的とした、学校関係者及び支援者が参加する支援者会議を開かれました。
教授は、支援会議で長女の支援方法について次のように話しました。
- 長女に注意のコントロールや他者との距離感、感情を制御できない等の問題があったとしても、それは脳機能的な問題とはちょっと違う。ちょっと情緒の発達が遅れているという風に捉えた方が近い。
- 育ちの部分つまり愛着形成の部分について不完全なところがあるかもしれない。長女の行動で問題なのは主に自分自身の今の状態がどうであるかを冷静に振り返りできないということ。
- 今やっている問題について注意されると「今やっていたことに対して注意された」ということしか頭に残らない。=「先生は”怒りんぼ”だ」と変換されてしまう。
- そうならないためには、長女の思考に回路を作ってあげる。例えば、授業中におしゃべりをした場合「今やっていることは基本的に許されている。けれども今はそれをすべき時間ではない。」といった風に注意する。
*例「お友達とおしゃべりしたかったんだね。でも、それは休み時間にしようか?」
- 長女は「授業中話してはいけない」ことを元々理解しているので、そこまで行動について言及する必要はない。
- このような接し方をすることが、長女の学校でのストレスを減らし、良い状態を維持することに繋がる。
- ストレスがあれば、余計長女の物の見方が狭まることで注意力が減退し、問題行動に繋がる。
:::::::::::::::::::::::::::::::
支援者会議が行われる前は、長女の情緒(愛着)の問題について教授がどのように説明するか検討もつきませんでした。
教授のように長女の問題行動を発達障害特性を前提とせずに、長女の状態・言動について分析することは、より深く長女の特性を捉えることとなり、その分適切な支援を見出すことに繋がるのかもしれません。
学校からの配慮
当初、私は長女の問題行動は全面的に発達障害特性に由来するとして学校側に説明した方が、学校からの支援を得やすいと考えていました。
要は、今年4月に「障害者差別解消法」が施行され、学校側の障害児に対する合理的配慮が義務化されたからです。
*「合理的配慮」〜障害のある人が障害のない人と平等に人権を享受し行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて発生する障害・困難さを取り除くための、個別の調整や変更のこと
けれども、支援者会議を行った結果、会議では学校側からは「長女の言動には困っていない」と言われ、「発達障害児に対する配慮を!」と求めても学校側がピンとはこないことがわかりました。
それはそれである意味問題なのですが、今回の場合、学校側から「そのような問題にはどういう風に対応すれば良いですか」という質問が積極的に出されました。
学校側は、発達障害特性に由来するかしないかに関係なく問題がある部分について出来る限り配慮していこうという姿勢があるようです。
消極的対応と言われればそうですが、こちらからの要望に応える姿勢があることは評価できると考えています。
以上のことから、今後、学校に支援をお願いする時は、長女のその時の特性の表れ方や担任や関係者に応じて随時訴え方を工夫する必要があると考えています。