にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

愛着障害?娘の愛着パターンと養育態度の関係。そして、私の育ちを克服するためのある方法。

以前より、定期的に通う大学の発達心理相談室の教授から、長女の特性は発達特性というよりは愛着の問題だと指摘されていました。

はっきりとは言いませんが、長女の自閉症スペクトラム障害(ASD)の診断も教授は懐疑的なようです。

けれども、長女の特性を愛着の問題として扱う教授からアドバイスされることは、特に児童デイサービス等の支援者やいわゆる発達障害の本に書かれていることと大きな違いはなく、特に気にとめていませんでした。

ところが、愛着の問題について、真剣に向き合わざる得ないことが起こりました。

教授に私の「幼い頃の育ち」が長女への養育態度に関係し、それが娘の愛着の問題に影響している可能性を示唆されたのです

私は娘の愛着の問題について検討し始めました。

*以下「愛着の問題=愛着障害」として記述します。

 目次

 

 「愛着」とは

愛着とは「特定の人に対する情緒的きずな」です。

愛着機能は、次の二つが大切です。

①恐怖や不安を感じる危機的場面での確実な逃避場所としての安全基地機能

②危機がない時にもいつでも逃げ込める安全基地を感じつつ外界の探索をするという探索既知機能の側面

当初、愛着障害とは通常の家庭に育っていない(児童養護施設等で育つ)、養育者から虐待やネグレクトを受けた子どものみの問題であると考えていました。

けれども、愛着障害は通常の家庭で育ち虐待やネグレクトがなくても起こり得るようです。

 

子どもの愛着パターン

子どもの愛着パターンは4つに分かれると言われています。

①安定型〜母子分離で混乱し、再会時には喜びと安堵を示して身体接触を求め、すぐに落ち着き、養育者を安全基地としての探索行動を示す。

②回避型〜母子分離に泣いたり混乱せず、再会にも喜ばずよそよそしい、抱っこを求めず、抱っこをやめても抵抗しない、養育者を安全基地としての探索行動を示さない。

アンビバレント型(抵抗/両価型)〜母子分離で不安や混乱を示し、再会時には落ち着かず、接近を求めつつ、叩いたり等の怒りを向けたりの矛盾した行動を取り、用心深く探索行動が少ない。

④混乱型〜突然のすくみ、顔を背けた親への接近、親にしがみつくとすぐに床に倒れ込む、接近と回避が同時に起こる矛盾した現象が特徴で、ぎこちない動きや場違いな行動やうつろな表情が見られ、固まって動かなかったりする。

参考:米澤好史『「愛情の器」モデルに基づく愛着修復プログラム』

長女の愛着パターンは、②と④は当てはまらず、どちらかと言えば③のアンビバレント型が当てはまりそうです。

長女は、初めてであったり、慣れない場所においては母子分離で強い不安を示しますが、再会時にはこちらを意識して接近しつつも、嬉しそうな顔を見せまいとするのです。

そして、外界を冒険しよう(見知らぬ事に挑戦しよう)とする意欲が少なく、積極性に欠けるところがあります。

 一方、上記4つの愛着パターンに対応する親の養育態度は次の通りです。

①安定型〜子どもの変化に敏感で、調和的かつ楽しげな関わりがあり、過剰な働きかけも少なく、そうした態度がいつも変わらない一貫的情緒的応答型

②回避型〜子どもの働きかけに拒否的で接触が少なく、こどもを遠ざけたり、統制しようとする拒絶型

アンビバレント型(抵抗/両価型)〜こどものサインに鈍感で、子どもの感情調整が不得意、自身の気分や都合によって対応が変わりやすく、結果的に応答タイミングがずれやすい

④混乱型虐待の可能性が指摘され、精神的にも不安定で突発的行動が多く、パニックも起こしやすく、こどもを怯えさせやすい。

参考:米澤好史『「愛情の器」モデルに基づく愛着修復プログラム』

私は、上記の③アンビバレント型の子どもの親の養育態度と一致するのか?

自身のことを客観的にみられるか怪しいのですが、一致する部分が多いと認めざる得ません。

夫にも「子どもの気持ちがわからないんだねぇ」と言われることもあります。

そして、自身の機嫌や都合が子どもへの態度に関係してしまうことも少なからずあります。

これまで「子どもの気持ちに寄り添うことが大切」と支援者や書籍から学ぶ機会は幾度もありましたが、正直これが一番難しい。

素の自分だと子どもの気持ちに寄り添うことは難しく、親モードに切り替えてようやく子どもの求めに対処することが多い毎日です。

教授が長女の特性の問題を愛着障害として扱うのもしかたのないことかもしれません。

 

 

私の育ちの問題

教授はこのように言いました。

発達障害の人の「他人の気持ちがわかない」という特性は、生来的に他人の表情が読めない(ある特定の場所を集中してみてしまう等)ことが原因。

情緒の問題がある人の「他人の気持ちがわかない」という特性は、幼い頃から他人の気持ちを学ぶ経験が乏しいことに原因がある。 

*1対1の相談の場での話しですから、私にわかりやすよう簡易な言葉を使ってされた説明です。

そして、教授は私を傷つけないよう言葉を選んで話しているので、その内容を専門的に正しく記述できていない部分があるかもしれません。

私は以前から教授に「親が私に対して情緒的な応答に欠けていた」という話しをしてきました。

そのため、教授は、私の親に私に対する”情緒的応答が不十分な面があった=他人の気持ちを学ぶ経験が乏しかった”ために、私に「他人(子ども)の気持ちがわかりにくい」ところがある

と考えたようです。

 

子どもの気持ちに寄り添う難しさ

上記「4つの愛着パターンに対応する親の養育態度」によると、「安定型」の子どもの養育者は子どもに対して情緒的な応答ができるようです。

けれども、今の私にはそういった応答が難しい場面がある。。。

そこで、1つ気づいたことがありました。

「子どもの気持ちに寄り添う」ことが大切だと重々理解している。

しかし、いざ子どもに寄り添う場面となると、

私の心の中に「そんなことまでしてあげる必要ないよ」とささやく小さい自分が現れるのです。

「そんなに優しくしてあげなくたって子どもは育つよ」

「だって、私だっていろいろ大変だったけどそれなりに育ったでしょ」

 

この捻くれた小さな自分をどうすればよいのか。

 

私が「小さな自分」の親になる

この本に 愛着障害を克服する方法として「自分が自分の親になる」ということが書かれていました。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 これがヒントとなり、ある方法を思いつきました。

「小さな自分」も娘達と同様に育てるという方法です。

もちろん、空想の世界です。

  • 小さな自分が「そんなこと(娘に)してあげる必要ないよ!」と言い始めた時、娘だけでなく、小さな自分にも娘と同じように接するイメージを持つ
  • 娘に対する応答に迷ったり、イライラする時、小さな自分であればどう応答したら嬉しいか想像してみる

固く封印していた幼い頃の満たされない想い。

それに向き合えば自ずと娘の気持ちがわかることに気づきました。

 

この方法を思いついて以来、私の頭の中には、何故かブログアイコンの黄色い女の子が居座るようになりました。

特に決めた訳ではないのですが、「小さい自分」のイメージはブログアイコンになってしまったようですww

今は「小さな自分」も含め3人の子どもを育てているような気分。

そして、情緒的な応答とは何なのかわかってきたような気がする今日この頃です。

 

おわりに 

過去の自分の育ちについて考える事はとても辛いことです。

実際、今回の教授の話から大きなダメージを受け、数日は深海魚のような気分でした。

けれども、支援者にこの経緯を話した時、大きく救われました。

 一人で頑張る必要はない。

周囲の支援者に大いに頼り、歩んでいけば良いのです。