きょうだい喧嘩〜親は裁判官になる必要はない。大切なのは子どもの気持ちを尊重すること。
近頃、年少次女の言葉の発達に伴い、年長長女と次女のきょうだい喧嘩が激しくなりました。
些細なことから喧嘩になり、時には互いに叩く等手が出ることも多い。
きょうだい喧嘩も人間関係を学ぶ良い機会だろうとできるだけ関わらないようにしていますが、必ずどちらかが相手の非を私に訴え、ジャッジを求めてくるのです。
叩く等の行為がひどければ、それを注意するのですが、トータルには「どっちもどっち」であることも多い。
また、私がどちらかを擁護する発言をすると、片方が私が自分の味方についてくれないという不満から余計怒り出す…。
そんな日々がしばらく続いていました。
ルール明確化よりも、安心感
毎日のようにおこる問題が、保育園の登園降園の際「どちらが車の助手席に乗るか?」という問題。
当初「交代交代で助手席に乗る」または「じゃんけんで勝った方が助手席に乗る」
というルールを定めました。
けれどもイレギュラーな場合も多く、前回どちらが助手席を乗ったのか私がわからなくなることも多いせいか、どちらかが嘘をついたり、じゃんけんを拒否したりと上手くいきません。
結局、「子どもは助手席に座らない、後部座席に座る」というルールに変えました。
それでも、何かと理由をつけては、助手席に座ろうとする娘たち。
一方が助手席に乗れば、後部座席に座った方が疎外感を持つので、後部座席に座った方に積極的に話しかけたり、助手席を譲ったことを褒めるよう心がけました。
これが利いたのか、どちらかが助手席に乗っても、後部座席に座る方は文句を言わなくなり、二人で後部座席に座ることも増えました。
結局、この座席の問題は、ルール明確化よりも「私(母親)が自分のことを見てくれている」という安心感が重要だったようです。
裁判官にならない
先の車の例のように、私がすぐ側にいる場合は、あれこれ策を考えることができますが、私が見ていない場で起こりがちなきょうだい喧嘩の扱いにはしばらく頭を悩ませていました。
そこから一歩踏み出せたのは、きょうだい喧嘩の際、どちらが良い悪いの判断をやめてからです。
けんかは、まずほっておけるものはほっておきましょう。
ひたすら、泣かされた子に対し同情し、話しを聞いてあげる。
これは弱い子に対し、どのような対応をするのか見本を見せているということでもあります。
わめいたり、おこったりする子も、弱い子であると私は思います。
参考 柿田友広外:『プーおじさんの子育て入門』
子どもが泣いたり、怒ったりすれば、抱っこして「うん、うん」と話しを聞くよう心がけました。
すると、もう一方は自分が形勢不利になったと思い、自分だけが悪い訳ではないと相手の悪いところを懸命に伝えようとします。
それも、子どもの気持ちを尊重し「うん、うん」と聴きます(明らかに嘘を言っていることがわかれば、もう片方の気持ちを尊重し突っ込みをいれることもありますが。)。
子どもの気持ちを尊重した応答をするようになってから起きた変化は次の通りです。
- 非がある方は、自ら相手に謝るようになった。
- 私に話しを聴いて貰えると、自ら相手を許せるようになった。
- 話しを聴いて貰ったことに満足できれば、その後望ましい行動をとるように。
自分の話しを聴いて貰うことで、子どもの心の混乱がおさまり、気持ちに余裕が生まれ、問題を処理する力が出てくるようです。
子どもの気持ちを尊重する話の聴き方
子どもの気持ちを尊重して話しを聴く。
これが私には難しいことで、その方法を学び練習する必要がありました(今でも練習中ですが)。
気持ちを尊重する方法
参考:『子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方』
- 注意を傾けて聴く。
- 「まあ」、「ふうん」、「そう」などの言葉で、子どもの気持ちを認める。
- 子どもの気持ちを、代わって言葉で表現する。
- 空想で、子どもの望んでいることをかなえる。
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きょうだい喧嘩の時の言い分は時に自己中心的で正直「はぁ?」と思い、喧嘩の内容に口出したくもなります。
でも、「はぁ?」と思う気持ちは、あくまでも私の考えであって、子どもの気持ちではない。
そう考えることはできるのですが、現実は「言うは易く行うは難し」…。
けれども「気持ちを尊重して話を聞く方法」に大きな効果があるのは確かです。
そのため、私は幾ら失敗しても初心に戻ることができるのです。
*私の場合、前記事に書いた通り、幼い頃の自分に向き合うことも必要でした。
おわりに
これまで、「子どもを尊重する」「子どもに寄り添う」といった行為が、無意識にしろ母親であればできて当然という考えが私の頭にあったように思います。
それゆえ、子どもとの関わりがうまくいかないと悩んだ時に、自分自身の特性や内面の問題、具体的な方法に着目せず「子どもを愛していたら、母親であれば…」できるようになると「タラレバ母」になっていたのかもしれません。
子どもへの応答は、子ども自身の特性やその時々の状況を考慮することは大切です。
同様に自分自身の特性・性格や内面の問題についても無視することはできないと思います。
子どもへの応答に難しさを感じた時、内省することで、物事が上手く運ぶこともあるかもしれません。
自分のブログでは繰り返し「子どもの気持ちに寄り添う」ことについて考察している。考察することに比例して寄り添うことができないのは自分自身に問題があること、私の場合、寄り添うことは実践し効果を体験することで身につける必要がある。誰でも言葉を掲げるだけで寄り添えるわけではない。
— にのの (@ninono0412) 2016年1月20日