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にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

軽度発達障害児をもつ親の障害受容

「障害受容」について考えさせられた出来事についてお話します。

ショッピングセンターへ出かけた際、長女がアンパンマンのショッピングカートをみつけ、嬉々としてとして乗り込みました(長女はASD(自閉症スペクトラム)の診断が出ています)。

↓ショッピングカート(参考:イオンモール鹿児島公式ホームページより)

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 年長の長女が乗ると、カートから長女の足がはみ出しています。

残念ながら長女の体格では年齢不相応なサイズのカートです。

けれども、すぐに昼食をとることになったので、一旦カートは所定の場所に戻しました。

長女は、昼食後もそのカートに乗ることに頭がいっぱいだったようで、自分が食べたいといって注文した食事も、父親に半分くらい押しつけて食事を終え、目当てのカートを探しにいきましたが、どこにも見つかりませんでした。

そのため、一気に長女が情緒不安定となり、もう買い物はしたくないと大泣き。

ただ、その日は、長女がトークンで貯めたお金で、好きな物を買うことになっていたので、それで最終的には気分を持ち直すだろうと思い、長女のためにカートを探すことはしませんでした。

 

けれども、後から、長女の気持ちに寄り添いカートを探すべきだったと後悔しました。

長女は、「カートはいいから、買い物しよう」と母親に言われて、とても悲しい気持ちになったことでしょう。

そして、その時私がカートを探さなかった本当の理由は、

「長女が年齢不相応な物に強い関心を持ち、それが多くの人の目に触れることが嫌だったし、長女が人目を憚らず大泣きすることにショックを受けていた」

ことに由来すると思います。

 

普段は、長女の発達の遅れを原因とする問題行為(かは今回のケースの場合はっきりしませんが)についても鷹揚に構えることもできるようになりつつあると、自分では思っていましたが、残念ながら人目がつく所ではそうもいかないようです。

 

私は、「障害受容」できていない?

 

障害受容とは

「障害受容」について、ツイッターのタイムラインが賑わっていたことがありました。

人それぞれいろいろな考え方、表現の仕方があり、「障害受容」の内容は、個別にあるものだと感じ入りました。

中でも、次のツイートは私の心に残ったものです。

 

この内容から言うと、私は長女が”障害を持っていること、多数派と違う成長の仕方をすること”は受けとめているので、「障害受容」をしているといっても良いかもしれません。

けれども、人前で、長女が年齢不相応な行動をすることは恥ずかしいし、大騒ぎすることを心の動揺なくして見守ることはできなかった。

だとしても、”障害受容してるからといって、仏様のように寛大になる必要なんてない。感情は動く”のです。

 

 ですから、私が否定的な気持ちを持ったことを私の障害受容の有無へ結びつける必要はないと思います。

 また、発達障害児の問題行動を全て仏様のように寛大に見守る人がいれば、見習いたい気持ちはありますが、寛大になれないことも、当然のように起こることだと考えています。

自分自身の感情を止めてしまったら、自分が苦しむだけです。

 

障害受容のプロセス

図6は、障害受容のプロセスついて螺旋型モデルで示したものです。

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親の内面には障害を肯定する気持ちと障害を否定する気持ちの両方の感情が常に存在する。それはいわば図6に示したように表と裏の関係にある。そのため、表面的にはふたつの感情が交互に現れ、いわば落胆と適応の時期を繰り返すように見える。また、その変化を一次元の平面で見れば否定から肯定への段階のごとくに見え段階説的な理解が生じる。しかし、その過程は決して区切られた段階ではなく連続した過程である。

参考:中田洋二郎   1990 親の障害の認識と受容に関する考察−受容の段階説と慢性的悲哀 早稲田心理学年報第27号、P 83~92

 

このモデルは最終段階のゴールがあるのではなく、全てが適応の過程にあります。

否定したり、肯定したりと変化する感情の動きは一貫として続きますが、受容に近づくにつれ、揺れ幅は小さくなってくる。

 
”特に軽度発達障害はその状態像が把握しにくく親の関わり方や子どもの成長によって状態が大きく変化するため”*、障害受容に近づきつつも、状態が変化する度に肯定的な気持ちを持ったり、否定的な気持ちを持ったりと気持ちの変化が生ずることは多くの方に起こり得ることだと思います。
*岩崎久志、海蔵寺洋子 軽度発達障害児をもつ親への支援 流通科学大学論集ー人間・科学・自然編−第20巻第1号、61〜73(2007)
 
先のショッピングセンターの例で言うと、閑散とした場所であれば、私は長女の行為を寛大に受けとめることができたかもしれません。
しかし、人混みの中では、気持ちの余裕が失われ、受けとめることができなかった。
 
同じ行為でも状況によって肯定的な気持ちになることもあれば、否定的な気持ちになることもある。
まさに螺旋系モデルで説明されるように、私の感情は時と場合に応じて、クルクルと変化しているのかもしれません。
(私は研究者でも何でもない一般人ですので、上記論文解釈に問題があるかもしれませんが、そこはご容赦頂けると幸いです。)
 
例えば、関わり方の工夫で子どものやる気を引き出し、今までできなかったことができるようになっても、後日、関わり方で失敗をすれば、またできなくなる。
そんなことは、うちの場合、日常茶飯事で、その度にポジティブになったりネガティブになったり。
少なくとも、こんな毎日が、程度の差はあれ、続くものだと思っています。
 

 おわりに

先日、ツイッターで、「障害受容」を「慣れ」みたいなものだと呟いていた方がいました。
 
一昔前まで娘たちの特性を目の当たりにすると、「適切な対応を!」とギラギラしたものですが、最近は娘たちの特性からくる行動にも「慣れ」て、気持ちの波立ちも、大分少なくなりました。
 
良い意味で「慣れ」れば、障害の有無に関係なく、ありのままの子どもを受け止められるようになり、子どもの気持ちに寄り添った関わり方が容易になるのかもしれません。

 

子どもへのまなざし

子どもへのまなざし

 

 ↑子どもの発達障害について頭がいっぱいになりすぎた時に読むと、多くの気づきが得られるので、大変勉強になります。