にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

夫が「発達障害」だと言う母に困っています

孫が発達障害であると知ってから、私の母は「発達障害」に関心を示し、「発達障害」について学んでいるようです。

最近では、NHK発達障害をテーマとした番組が増え視聴する機会も多く、それも影響しているのかも知れません。

http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu

www1.nhk.or.jp

テレビの影響力は絶大(弱小ブログとは比較にならない)

だからこそ、NHKには発達障害を知らない人たちに発達障害について正しい理解を得られる番組を作って欲しいです。

 

夫が「発達障害」だからといって嫌いになるな

私の夫は、発達障害の傾向があるように見えます(本人も認めている)。

けれども、本人は日常生活の中で大きな困り事がなく、本人なりの対処法で日々過ごしています(いろいろ危なっかしいけれど)。

そのため、今のところ「発達障害」について病院にかかる必要性はありません。

 

けれども、家族で外出すると、突然、多動な子どもたちを私がワンオペでみなければならない状況に陥る時があり、困ることがあります。

なぜワンオペ状態になるかと言うと夫は聴覚過敏、視覚過敏の傾向があるため特に外出先では、突然聴覚・視覚が通常通り機能しなくなることがあるからです(例えば、聴覚過敏であるために騒がしい環境で人の声が聞き取りにくくなります)。

 

そういう状況になったことを、母に愚痴ったこともありますし、夫に発達障害の傾向があるかも知れないと話したこともあります。

*今では私なりに対策・予測をたてることで次第に困った状況になることも減りました。

 

 

そんなある日のこと、母がおかしなことを言い出しました。

 

母「最近TVで発達障害のことやってるでしょ。B君(夫)と似ている人も出てたよ。」

 

(これは特に気にならない。)

 

「B君(夫)が発達障害だからって、嫌ったりするんじゃないよ」

 

はぁ(゚Д゚≡゚Д゚)?

この発言にすごくモヤモヤしました。

 

発達障害の夫

以前は、夫の愚痴を母に話しても母は「良い人なんだからそういう風に言ったらだめだ」と聞く耳を持ちませんでした。

けれども、母が夫を「発達障害」とみなしてからは、私の夫に対する愚痴に寛容になりました。

さらに「発達障害だからと夫を嫌うな」との発言まで出てくるときた。。

 

夫は今も昔も何ら変わらないのに、母が夫を「発達障害」だと思っていない時は、私の愚痴は聞き入れないけど、「発達障害」とみなしてからはその愚痴を許容するのは、私からすれば大きな違和感がある。

 

夫にはある部分に発達障害の傾向がみられるけれども、発達障害の夫」ではない。

 

だけど、中途半端な知識と自己流の解釈で母は夫を「発達障害」とみなし、私が「発達障害の夫」に愛想をつかすことを心配している。

母は夫を「発達障害」だけど、真面目に働き子どもも可愛がる良い父親だから、娘が離婚すると言い出さないか心配になったのでしょう。

私たち夫婦が仲良くやっていくことを願っているんでしょうね。

 

母は、夫を「発達障害」とカテゴライズしながらも、(母の思うところの)夫の特性が大きく社会生活・家庭生活に影響していないことは知っている。

 

そのくせ、「発達障害」が夫婦破綻のきっかけになり得ると考えている。

それなら、夫本人の特性による困り事とそれが家庭生活にどう影響するのか想像しても良かろうに。

 

 

そして、「発達障害の傾向はあるけれど、そのために生活に支障をきたすことはない」夫を「発達障害」の枠組みにはめるのなら、私も母も同じようにその枠組みに入れることに気づいていないのが滑稽。

 

発達障害」は人それぞれ

話は変わります。

有名人が発達障害だとカミングアウトアウトしてから加速度的に「発達障害」という言葉は知られるようになってきました。

けれども、人によって特性の表れ方が千差万別で、当事者の困り事も人によって異なるのが「発達障害

 

 

広く「発達障害」の特性について知ってもらうことは大切ですが、「発達障害」は前述したように人によって特性が全くバラバラで、大きく3つ(自閉スペクトラム症、注意欠如多動性障害、学習障害)に分けることは出来るけど、この3つのうちいずれかを併存するケースもある。

 

 

けれども、私の母は自己流の解釈で夫を「発達障害」とカテゴライズしてるに過ぎません。

 

私の母のように「発達障害」という言葉を安易に使う人が今後増えていくんじゃないのかな。

 それだけ、「発達障害」の困り事(特性)が、いわゆる定型発達に分類される人たちも程度の差はあれ、持つものだから理解が得られにくいということなんだろうけれど。

 

ちなみにそんな困った母には

発達障害の傾向があったとしても、例えば亭主関白で家事育児一切しないという困った人に比べれば大した問題ではないし、発達障害の傾向があることは夫の一側面に過ぎない」

と話しておきました。

 

どう訴えれば配慮してもらえるのか

私の母は、テレビ等で「発達障害」の知識を多少得ており、そのうえで、夫を「発達障害」扱いし、また孫が「発達障害」であることを否定まではしません。

 

けれども、母の思う「発達障害」は、一般にありがちな困り事がちょっと多いだけの人。

もしかしたら程度の酷い人もいてその人は大変なこともあるかもしれないけれど、いろいろ工夫すればなんとなかなるでしょ。

そういう人たちを「発達障害」って言うんでしょ?

といった理解なのだと思います。

 

こういった理解の人たちに、「発達障害」の人は困り事の程度・内容に応じて配慮が必要だと理解してもらうためには、どう説明すれば良いのだろう。

浅い知識で特定の人を「発達障害」とカテゴライズする人を増やさないためにはどうしたら良いだろう。

 

 

すごく難しい問題だ。

 

 

少なくとも私が個人的に考えていることは次の2点。

・「発達障害」と診断されていなくても、発達障害の傾向を持つ人は程度の差はあれいるのだから、「発達障害」であることを前提に配慮を求めても理解されにくい(つまり得策ではない)。

・適切な配慮があったり、適応しやすい環境に置かれれば、特性による困り事を軽減できることを相手に理解しやすい方法で伝えていく

 

しりきれとんぼな内容ですが、今回はここまで。

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