自分と他人との区別をつけるための「納得する」「あきらめる」という過程
先日、長女が通所する放課後等デイサービス(以下「放デイ」といいます)で、今年度の長女の個人支援計画を評価をするための個人懇談が行われました。
個人支援計画の到達目標のうち「相手の気持ちに気づく」という目標については未達成。最近、放デイや家庭でも「自分と他人との区別がつかない」という特性を発揮しがちで、ゲーム中に自分ルールを勝手に作ったり等の問題を起こしているので、未到達なのは予想通り。
引出だけが増えてもね。。
放デイでは、この目標を到達するための「具体的な手立て」を
『相手の気持ちを想像する事が難しいときや距離感が難しい時は、具体的に相手の気持ちを大人が代弁しながら、自分の言葉で相手に伝えることを場面場面で積み重ねる』
としています。
懇談でも活動中は「(放デイスタッフが)他人の気持ちを代弁することで他人の気持ちに気づいてもらい、その積み重ねで受け答えのパターンの引出をふやせるよう指導している」と説明されました。
↓懇談後にもやもやした気持ちを整理するためにしたツイート
続)けれども、自他の別がついていない、かつ自分のやりたい(関心のある)方法で物事を進めたいという気持ちに支配されるので、引き出しが増えても、支配される気持ちを抑えることができないかぎり、「他人の気持ちがわからない」と言われる状況は変わらないと思うんだよな。
— にのの (@ninono0412) 2017年3月9日
ここの部分が定型のスタッフにはなかなか理解しにくいだろうし、私も上手く伝えることができない。
— にのの (@ninono0412) 2017年3月9日
自分が良しとする方法が他人にとっても良しとはならないことを理解することが娘にとっては近道だと思いはするけれど。それも正しいとは言いきれず悩ましい。
上のツイートでは、長女がまだまだ自分の思いを言語化できないところ自分の想像で長女の特性を分析しています。
私自身、昔は「自分と他人との区別がつかない」ために人間関係を散々こじらせてきたので、長女が何故一見わがままと捉えられるような行動をとってしまうのかは他人が理解できなくても、私にはおおよそ想像できるつもり(その想像が全て合っているとは言えませんが)。
けれども、懇談中は納得できない気持ちを放デイのスタッフに伝えることまではできずに終わりました。
主治医の話
懇談のすぐ後に、長女の主治医(精神科医)に懇談の内容について話す機会に恵まれました。
【主治医】
「引出しが増えても、その引出を使うまでの壁が大きいよね。自分の思いが通らないことや他人が自分と違う考え方をすることを「あきらめる」「納得する」という過程が必要だからね。」
「長女ちゃんにしてみれば、(他人と行う)ゲームで自分が良いと思う方法でマイルールを勝手に作ってしまうのも、それが他人にとっても一番良い方法だと本気で思っているし、頭の回転も早いだろうから状況を察知して、素早くいろいろ考えても周りがそのスピードについていけないということもあるだろうし」
「もし、放デイのスタッフが(長女の)引出を増やすために、いろいろ伝えたけれど(長女ちゃんが)いつまでたってもできないと考えてしまうのなら、それは良くないよね」
*主治医の話は全てもとの話を要約したものです。
私「長女ちゃんはいわゆる早期療育を受けていますけど、「他人は自分と違う考え方や価値観をもっていて、それは自由である」ということに気づくのはいつなんでしょうか」
主治医「10歳ぐらいかな〜。わからないけど。」
私「それは、定型発達の場合ですか?」
主治医「いや、定型はもっと早いかな〜」
私「━Σ(゚Д゚|||)定型発達すごいですね。。。。」
私が自分と他人との区別がついたのは大人になってからなので、もし長女が10歳程度でそれがつくなら早期療育万々歳ですね。
だとしても、定型発達が10歳よりもっと早く自動的に自分と他人の区別がつくなんて、「違う人種だよね」としか思えない。
ここまで能力の差があるならば、他人との受け答えの引出を増やすということも必要だろうけれど、とっとと「自分は普通の人とは異なる考え方をしがちで、受け容れられなくてもしょうがない」と自己理解することに力をいれた方が、かえって他人とのトラブルが減ると思うのです。
私も、中学生の頃、他人と自分の違いにぼんやりと気づきはじめると同時に、自分が他人と上手くコミュニケーションを取れないことに悩んでいました。
そこで、友人が多い人の受け答えを真似したり、いわゆる対人関係の啓発本を読んで参考にしていました。
まったく、その効果はなかったけれども。
かえって、自己理解が進まず、余計人間関係をこじらせました。
相手の感情は気づくことができるので、何とか私に対する悪感情をなくして欲しく、あれこれするけれど、如何せん相手の感情がどういう理由で生まれたかは正確には掴めない(空気が読めないということでもある)ので、適切な対応が取れない。
でも、おそらく一番致命的だったのは「自分が良かれと思う考えや価値観が他人に受け容れられなくてもしょうがない」ということを理解していなかったこと。
状況を改善するために頭を悩ませ、いろいろやってはみるけれど、自分が思うようには全く改善されない状況は辛かった。
発達障害の人の、相手の気持ちがわからない=相手の感情(怒り等)がわからない、ではない人もいて「相手の怒りを知って何とかしたいけれど、理由がわからないからどうすればわからず辛い」となることをどう説明すれば分かってもらえるのか。
— にのの (@ninono0412) 2017年3月9日
*私は発達障害の診断はないけれど、その傾向は昔あったようです。
おわりに
こういったら、「長女と自分との区別がついていない 」と言われてもしかたないけれど、やっぱり長女と私は似ている部分があると思うので、長女には10歳位までにはある程度自己理解がすすみ、自分との他人との区別がつくようになっていることを願わずにはいられません。
他人との境界線なるものが初めて理解できた時、ヘレンケラーで言う「ウォーター!!」程度の衝撃はあった。こんなものを私は知らずに今まで生きていたのかってね。但し「他人との境界線」について私は誰かに詳しく教えてもらった訳ではないけれど。
— にのの (@ninono0412) 2017年2月23日