にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

子どもに謝ることができない自分と自尊心の問題

定期的に通っている大学の発達心理相談室での出来事。

「子どもに対して失敗しちゃったな〜と感じるようなことをした時、子どもに謝っている?」
と教授に聞かれました。
日常生活で起きた些細な失敗について謝ることは度々あります。
その一方で、子どもの言動に腹を立て、感情が制御できなくなり、大きな声が出たり、つい手が出てしまった時(非常に良くない行為です)。
謝ることができません…。

 後になって

「やっちゃった…。悪いことしたな…。」
と思い、子どもに謝った方がいいかな…と思うこともあるのですが、言葉が喉にひっかかり、謝罪の言葉を発することはできません。
教授は
「難しいかもしれないけど、謝った方がいいよ」
と言いました。
 

謝ることが出来る親と子の関係性 f:id:ninono0412:20150908105658p:plain

 何故謝るべきなのか?

教授は私にこう話しました。
「親も失敗する」ということを、子どもへ伝えることによって、親子関係が、親側からの一方的な関係ではなくなる。
例えば、あるグループ内において、それぞれが裁量性をもって活動した場合、それぞれの活動にずれが生じることもある。
けれども、お互いの逸脱を認める余裕があれば、そのずれを修正しやすい。
多少それぞれの活動内容がずれても、調整・修正ができるという感覚を持てば、そのグループの雰囲気が固くならない。
これは、親子間でも同じ。
何かうまくいかなくても「ごめんね」といえる関係があれば、親子間で問題があっても次があると思える→安心を得ることで気持ちが安定する。
こういった親子間の関係性が、子どもの心の土台となる。

 

 車のハンドルでも「あそび」の部分があれば、運転上安心なように、人間関係でも「ちょっとぶつかりあっても当事者の関係性は揺るがない」そんな部分があれば、安定した関係を築きやすいし、トラブルがあったとしても修復しやすい。

 

けれども、そんな「あそび」の部分が親子関係にあっていいのだろうか。

このように、私が半信半疑に思う理由は、私の自尊心の低さに関係があったようです。

 

自尊心が低いと謝ることができない f:id:ninono0412:20150908105658p:plain

 私は、自分自身の考えに基づき行動したことに間違いがあり、それを他人に指摘された時、謝罪が必要であれば、謝ることはできるけれども、非常に神経をすり減らします。

自分の家族に対しては、謝ることができないことの方が多いかもしれません。
それは、自尊心が低いことと関係があると思います。
 
ところで、自尊感情には「社会的自尊感情」と「基本的自尊感情」の二種類があるそうです。
基本的自尊感情とは、「生まれてきてよかった」「自分に価値がある」「このままでいい」「自分は自分」と思える感情です。他者との比較ではなく、絶対的かつ無条件的で、根源的で永続性のある感情です。
 
社会的自尊感情とは、「できることがある」「役に立つ」「価値がある」「人より優れている」と思える感情で、他者と比較して得られるもの。相対的、条件的、表面的で際限がなく、一過性の感情です。
 
基本的自尊感情が低いであろう私は、全てにおいてとは言わないまでも、「自分のあり方・価値」については、常に懐疑的です。
そのため、もし未経験であることを行う場合は、勉強や調査を重ね、客観的に問題がないことである、という確信を得てから行動した方が安心ですし、自分の行動や仕事等に自信を持てます。
そして、実際に勉強や調査を重ねたうえで、行動したことについては結果が伴うことが多く、そこで私は多くの「社会的自尊感情」を築き、生きていく安心を得てきたように思います。
 
子育ても同様に「このままの自分が不用意に子育てを行えばろくなことにはならない」という意識は強く、「ろくなことにならない」ように、「間違いを犯さない」ようにと自分を律しているところがあるかもしれません。
 
けれども、現実には、行動の予測がつきにくい子どもを相手にしていれば、自分の思いとは裏腹に、感情のコントロールができず、人様には言えないような態度を子どもにとることが出てきます。
それが間違った行為であったならば、子どもに謝るべきかもしれません。
 
「でも、子どもに謝れば、自分の過ちを子どもに認めるということになってしまう。
こんなだめな母親であることを、自ら子どもに認めて良いのだろうか?」
という不安が渦巻きます。
 
私は、「基本的自尊感情」の低さから、
「謝る=自分の無価値さの証明」と考えているのかもしれません。
親は、子どもに尊敬されるような存在でなければならないところ、子どもに謝ってしまっては、無価値な親であることを自ら証明するのでは?と恐れている。
 
でも、幼児期の子どもにとって、母親が「無価値」なことなどあるのでしょうか。
むし「謝る」ことで得られる「子どもの心の余裕・安心に繋がる相互的な親子の関係性」に目を向ける必要があるのでしょう。
 

 おわりに

日頃、子どもとのコミュニケーションの方法について学んでいる本に書かれてあったことをご紹介します。

〜自分たちを、成長することも変わることもできる能力を持った人間だと考えることから始めましょう。

子どもたちと共に生活し、子どもを育てる過程というものは、骨が折れ、心身が疲れるものです。そして愛情と、思考力と、根気が要求されます。

自分の期待どおりにうまくいかないときは、子どもにも自分にも思いやりの心を持ちましょう。

子どもたちが1000回やり直しのチャンスが与えられる値うちがあると思うならば、その上にもう1回おまけです。

子どもと同じように、自分たちにも1000回のチャンスを与えましょう。そしてさらに、もう2回おまけを付けて。

『子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方大全』きこ書房 より 

 

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

 

 

子どもにも自分にも、

たくさんのやり直しのチャンスを与えることができるのならば、

「謝る」ことは、「やり直し」のきっかけに繋がる大切な行為なのかもしれません。