にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

夫婦間における「察する」とは〜発達凸凹夫婦の場合

先日次のようなツイをしたところ、関心を示してくれた方が多いのに驚きました。それぞれのご家庭でいろいろ感じることがあるのでしょう。

 

 

そもそも夫婦間の「察する」という行為については、スズコさんのブログに影響を受け、考え始めたことで、スズコさんの深い考察から大きな気づきがありました。
 
さて、表題にもある通り、私達夫婦は発達凸凹に由来する特性を持ち、それを自覚しています。
 
私は「自他の境界が曖昧」という特性があります(現在は夫にのみ発動)。
生来的に自分の思考・価値観等が相手(夫)に理解されていると思っているので、夫が私の意に反する行動をとること、発言を理解してくれないことにに、大きな違和感、そして酷い時は怒りさえ感じ、その怒りや不機嫌さで夫をコントロールしようとすることもあります(今はだいぶ減りましたが...)。
 
一方の夫は「シングルタスク」、「言葉を字句通り受け取る」という特性持ち。
  • シングルタスク〜一つの物事に過度に集中する傾向があり、同時に複数のことが生来的にできない(夫の場合は、何かに集中していると、声かけも耳に入らない)。
  • 「言葉を字句通り受け取る」〜想像力が欠如しているため、発せられた言葉の裏の意味を察する、または経験則から発せらなかった部分を補うことが出来ず、発せられた言葉そのままの意味でその発言を受け取る。そのため、冗談や皮肉が通じにくい。
 
こういった特性の持つ夫婦が、2人で映画を観に行く計画を立てたとしましょう(随分と可愛らしい例えですが)。
 
私達夫婦は、そもそも映画の趣味が合いません。
夫はアクション映画、私はしっとりめの邦画を好みます。
 
しかし、私は、私の好みを当然夫が把握していると考えています。
(「自他の境界が曖昧」発動)
 
ところが、夫は私の映画の趣味について「なんだっけ?」というレベル。
 
しかも、私「(当然私の趣味を知っているだろうけど)どんな映画を観たい?」と問いかけたら、夫は「アクション映画を観たい」と言うでしょう。
(「字句通り言葉を受け取る」発動)
 
また、上記問いかけが、夫が新聞を読んでいる時に私から発せられたとします。
まず、1回目の問いかけで夫が私の声に気づくことは50%程度の確率です。
「シングルタスク」発動中
 
声に気づいたとしても、読んでいた記事から私が発した映画の話へ頭を切り替えることがなかなかできません。
そのため、とりあえず、私の表情や雰囲気に気づかず、とりあえず思ったことを回答をします。
「シングルタスク」発動からのKY発言
 
結果、私は、夫が「アクション映画を観たい」と言ったことについて、「私のことを理解していない」または「察しが悪い」と不快に思うわけです。
 
こんな二人ですから、日常生活の中で頻繁に、
私は「どうして、こんなに私のことがわかっていないんだろう」「どうしてこんなに、気がきかないor察しが悪いんだろう」と不快に思います。
一方の夫は「どうして、私の考えと一緒のことを言わなかっただけで、怒られるのだろう」「どうして、言われたことに答えただけなのに、不機嫌にされるのだろう」と不快になるのです。
 
よって、長年、私たち夫婦は大なり小なりの喧嘩が絶えませんでした。
 
話題となっている某雑誌のトイレットペーパー購入の件に例えると、私の場合「トイレットペーパーが家に少なくなれば普通は気づくのだから、買い物に行く機会があれば、思い出して買ってくるのが当然」と考えるのです。
勿論、シングルタスクの夫は、基本、買い物メモがない限り、その時買いたい物を買うことしかできないので、「思い出して買う」ことはできません。
そのため、自他の境界が曖昧な私は自分の思考と同じことができない夫に苛立ち「察しが悪い」と思ってしまう。
 
しかし、今年の初め頃に、私たち夫婦はそれぞれの特性を理解し、自分の特性で相手に迷惑かけないようにする、または相手が特性持ちであることを、ある程度配慮するようになりました。
 
そして、私は、①夫が生来的に「察することはできない」し、②「察して欲しい」と夫に要求するのは、私の「自他の境界が曖昧」ことに由来があるので、夫に「察して欲しい」と思うことをやめました
 
しかし、それでも、私ばかりが夫に対し察してあげ、気働きをしているという気持ちは残りました。
そこで、私は、この気持ちを解消すべく、夫に関し「察しない」ことにしました。
つまり、あれやこれやと夫に気配りすることをやめたのです。
その気配りも、そもそも夫が求めたものではなく、私の価値観に基づいての行動が大半ですし。
例えば、朝食は当たり前のように私が家族全員分を毎回作っていましたが、夫は前日仕事から遅く帰った時は、朝食を食べないことが多く、しかも、遅く起きてくるので、夫が起きるまでは朝食を食べるかどうかわかりません。
そのため、従来はせっかく朝食を作っても夫に食べられないと言われると、それを不快に感じました。
 
そのため、私は前日夫が遅く帰った日は、夫の朝食を作るのをやめました。
内心、夫に文句を言われまいかと心配していたところ、夫は私が朝食を作っていなくても、何も言わず、何か食べたければ自分で納豆ご飯等を用意し食べるようになりました。
 
結局、夫はほっておかれても、あまりそのことを気にとめないようで、察していろいろしてあげなくても不満を持ちません(もともと要求が少ないタイプですし、または不満に思ってもすぐに忘れているのかもしれませんが)。
そして、どうしても私にして欲しいことがあれば言ってくれます。
 
こうなってからは、随分と楽になりました。
 「お互いに必要なことがあれば具体的に言う。」
それだけのことですが。
 
そもそも、世間一般的に夫婦間において「察してあげる」行為が尊ばれている雰囲気があるように思います。
でも、そういったことは、とりあえず一旦置いといて、自分の相方がどういった人間なのか、自分がどういった人間なのか理解してからの方が、お互いに楽なコミュニケーションの方法が見つかるだろうし、その延長線上にその夫婦にとっての「察し方」が見つかるのかなと思った次第です。