「支援疲れ」のため、支援の方法を見直そうと思ったけど現状維持することになった話
最近、「支援疲れ」のため、発達障害界隈から若干遠ざかっていました。
「支援疲れ」と言っても、それほどの苦労を抱えていたわけではありませんが、これまで受けてきた療育等の支援は果たして長女に必要なものなのかどうか考え込んでしまったのです。
ASDの診断当初から、信頼できる医療機関や療育先、支援者に恵まれてきましたが、それぞれの支援者の長女の発達障害特性に関する見立て方は様々で、参考にはなりますが単純に情報量が多く混乱し、それが私を必要以上に不安に、神経質にさせていたようです。
診断直後はいろいろ私もはりきっていたのですが、はりきり過ぎて物事を必要以上に多く抱えすぎてしまったのかも。
入学してから半年後の長女
喜ばしいことではあるのですが、現在1年生の長女は学校に楽しく通い、学習面では高い評価を頂いており(親バカ的な受け止め方をしているかもしれませんが…)、担任はいまだに長女が様々な支援を受けていることについて不思議に思っているようです。
入学前に相当通常級か支援級かで迷ったのでかなり拍子抜けしている今日この頃。
いろいろ考え悩んだことに意味はあったと思いますが、子どもの就学先については蓋を開けてみないとわからないことは多いですね。
また最近、主治医は長女のことを
「学校という枠組みのなかで、系統だって知識が入ってくると伸びてくる子がいるけれどもそういうタイプなのかもしれない。」
と言っていました。
どのような支援が適切なのか
このような状況のため、どういった支援を受けさせることが今の長女に最適なのかわからなくなってしまいました。
それを、ある支援者にぶつけたところ
「好きなことをさせてあげること、安心して楽しく過ごせる環境を整えてあげることが大切」と言われました。
この考え方が非常にシンプルなゆえに、私の脳内もだいぶ整理されました。
そして、長女には過剰だと考えた支援(放課後デイ、言語療法等)も、負担が重いと考えた習い事(英語、水泳)も、改めて長女が好きかどうかで考えると、全部それなりに好きだし、今は負担でもないようです。
そのため、長女が継続的に支援を受けたり、習い事に通うにこしたことはないので、楽しく通うことができている限りは現状維持するとの結論に。
そして、支援者はいろいろ長女の障害特性を見立ててくれてはいるけれど、今のところ長女自身は毎日の生活には大きく困ってはいないし、私も本人が困っていないことについて心配しすぎないよう心がけています。
何事も長期的に見ることが大切かも知れません。
1年前に困っていたことでも、今は困っていないことはいろいろあります(「今は困っていないけれど、将来困ること」も出てくるでしょうが)。
その理由が、療育の結果なのか、成長の一過程なのかは考えてもわかりませんが、ただ今ある状況が一生続く訳ではないということは言えると思います。
さて、今日は長女が初めて通知表をもらう日です。
どんな結果が出るかとても楽しみ。
担任は、いつも「(長女に)問題はない」と言っているので、極端にがっかりするような内容は出てこないと信じてはいますが、学校での得意・不得意を客観的に知ることができる機会なので、その辺内容をよく検討したいと思っています。
最近、長女が通信教材のワークで「好きな本を紹介する」の課題に使った本。
長女はあまり特定の物に執着することはなく、いわゆる「宝物」も持っていません。
そのため、自分の好きな物を紹介する必要に迫られた時は、その場で適当に良いと思ったものを選んでいるようです。
それを、今までずっと好きであったかのように話すところが面白いよなぁ。