朝の準備ができないADHDな次女に「朝のしたく表」再び...
お久しぶりです。
久しぶりの記事更新。
今回は、ここ1カ月でメキメキと困り事が増えてきた次女(ADHDの診断有)についてです。
次女は年長になり、就学を意識せざる得ない年齢となりました。
ところが、
・友だちと上手く遊べない。
・ルーティンワーク(朝のおしたく等)にものすごく時間がかかる。
・常に落ち着かず、着席すべき時にじっとしていられない。
という状態で、これまでになく日常生活での困り事が増えました。
3カ月前までは違いました。
就学後通級への入級を考えているけど「審査からもれるかもしれない...」と心配するくらいに(今思えば信じられない)困り事が少なかった。
今なら余裕で通級審査は通る気がします(自治体によって審査内容・基準は異なります)。
先日の診察では、久しぶりに次女の困り事について15項目箇条書きしたものを作成し、主治医に渡しました。
そして、15項目のうち2項目説明した時点で、こう言われました。
主治医「つまり、ADHDの特性が強くなっているということね」
(チーン)
一言でまとめられてしまいました。
さらに、ADHD治療薬の投薬について打診され...。
これから、少しずつ支援者と相談し、かつ次女の様子を見ながら投薬の是非について考えていくつもりです。
朝のしたく表
なんとこの記事を作成したのが2年前!
この「朝のしたく表」のおかげで長女も次女も毎朝の登園前の準備(したく)を自主的に取り組むことができるようになりました。
そのため、もう1年以上使う機会もなく、欲しい方に譲ろうかと思っていたぐらいです。
けれども、次女がこの「朝のしたく表」を使う必要が再びきたのです!
これまでも、朝のしたくを何も声かけせずに次女ができるとまではいきませんが、1〜2度声かけすれば、したくを進めることはできていました。
今はもう、1つのしたくに声かけすること5回以上。
しかも以前と違って「つい忘れてしまう」とかではなく、
・すぐに別の刺激に囚われてしまい(おもちゃで遊び始める等)おしたくへと気持ちを切り替えることができない。
・したく自体面倒でどうしてもやりたくない気持ちになっている
という状態。
そこで、今更とは思いましたが「朝のしたく表」を使ってみることにしました。
この「朝のしたく表」は
朝のしたくが1番から順番に記載されており、1つしたくが終わるごとに、フラップ(ふた)を閉め、「できた!」という表示にする
という仕組みになっています。
正直あまり期待していませんでした。
ところが、「朝のしたく表」のおかげで、次女が(まあまあ)スムーズに朝のおしたくを進めることができるようになったのです。
「朝のしたく表」様様!
↓ライフスキル(社会生活をおくっていくうえで必要なさまざまな技術)トレーニングについて書かれた本。
本記事の「朝のしたく表」もライフスキルを高めるためのトレーニングの一貫です。
なぜ「朝のしたく表」を使えば、おしたくできるのか?
「朝のしたく表」のフラップを閉じることが目的となり、「朝のしたく」が目的ではなくなるからなのかもしれません。
つまり、
- 遊び感覚でしたくを進められる。
- 最後までしたくを終わらせるとしたく表が全て「できた!」マークとなり、達成感が生まれる。
- したく表にやるべきしたくが一覧になっているため、見通しがたちやすい
- もし、したくが途中までしか進んでいたなくても私が「早くやりなさい!」と言うのではなく「(したく表が)どこまで終わった〜?」と声かけすることができるので、声かけ自体もしたくが目的とならない。
といったところが、朝したくがスムーズにいく原因なのかもしれません。
この「朝のしたく表」は
子どもにとってこれまでとは違い、「朝のしたく」を遊び感覚で取り組めるという素晴らしいシステムです。
もし、お子さんの「朝のしたく」がスムーズにいかず悩んでいる場合は、ぜひ「朝のしたく表」を使ってみて下さい。
★作り方は上記過去記事子どもの朝のしたく表を作った!〜朝の準備をスムーズに - にののシステム科学講座)に載っていますのでご興味のある方はどうぞ!★
夫が「発達障害」だと言う母に困っています
孫が発達障害であると知ってから、私の母は「発達障害」に関心を示し、「発達障害」について学んでいるようです。
最近では、NHKで発達障害をテーマとした番組が増え視聴する機会も多く、それも影響しているのかも知れません。
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu
テレビの影響力は絶大(弱小ブログとは比較にならない)。
だからこそ、NHKには発達障害を知らない人たちに発達障害について正しい理解を得られる番組を作って欲しいです。
夫が「発達障害」だからといって嫌いになるな
私の夫は、発達障害の傾向があるように見えます(本人も認めている)。
けれども、本人は日常生活の中で大きな困り事がなく、本人なりの対処法で日々過ごしています(いろいろ危なっかしいけれど)。
そのため、今のところ「発達障害」について病院にかかる必要性はありません。
けれども、家族で外出すると、突然、多動な子どもたちを私がワンオペでみなければならない状況に陥る時があり、困ることがあります。
なぜワンオペ状態になるかと言うと夫は聴覚過敏、視覚過敏の傾向があるため特に外出先では、突然聴覚・視覚が通常通り機能しなくなることがあるからです(例えば、聴覚過敏であるために騒がしい環境で人の声が聞き取りにくくなります)。
そういう状況になったことを、母に愚痴ったこともありますし、夫に発達障害の傾向があるかも知れないと話したこともあります。
*今では私なりに対策・予測をたてることで次第に困った状況になることも減りました。
そんなある日のこと、母がおかしなことを言い出しました。
母「最近TVで発達障害のことやってるでしょ。B君(夫)と似ている人も出てたよ。」
(これは特に気にならない。)
母「B君(夫)が発達障害だからって、嫌ったりするんじゃないよ」
はぁ(゚Д゚≡゚Д゚)?
この発言にすごくモヤモヤしました。
発達障害の夫
以前は、夫の愚痴を母に話しても母は「良い人なんだからそういう風に言ったらだめだ」と聞く耳を持ちませんでした。
けれども、母が夫を「発達障害」とみなしてからは、私の夫に対する愚痴に寛容になりました。
さらに「発達障害だからと夫を嫌うな」との発言まで出てくるときた。。
夫は今も昔も何ら変わらないのに、母が夫を「発達障害」だと思っていない時は、私の愚痴は聞き入れないけど、「発達障害」とみなしてからはその愚痴を許容するのは、私からすれば大きな違和感がある。
夫にはある部分に発達障害の傾向がみられるけれども、「発達障害の夫」ではない。
だけど、中途半端な知識と自己流の解釈で母は夫を「発達障害」とみなし、私が「発達障害の夫」に愛想をつかすことを心配している。
母は夫を「発達障害」だけど、真面目に働き子どもも可愛がる良い父親だから、娘が離婚すると言い出さないか心配になったのでしょう。
私たち夫婦が仲良くやっていくことを願っているんでしょうね。
母は、夫を「発達障害」とカテゴライズしながらも、(母の思うところの)夫の特性が大きく社会生活・家庭生活に影響していないことは知っている。
そのくせ、「発達障害」が夫婦破綻のきっかけになり得ると考えている。
それなら、夫本人の特性による困り事とそれが家庭生活にどう影響するのか想像しても良かろうに。
そして、「発達障害の傾向はあるけれど、そのために生活に支障をきたすことはない」夫を「発達障害」の枠組みにはめるのなら、私も母も同じようにその枠組みに入れることに気づいていないのが滑稽。
「発達障害」は人それぞれ
話は変わります。
有名人が発達障害だとカミングアウトアウトしてから加速度的に「発達障害」という言葉は知られるようになってきました。
けれども、人によって特性の表れ方が千差万別で、当事者の困り事も人によって異なるのが「発達障害」。
広く「発達障害」の特性について知ってもらうことは大切ですが、「発達障害」は前述したように人によって特性が全くバラバラで、大きく3つ(自閉スペクトラム症、注意欠如多動性障害、学習障害)に分けることは出来るけど、この3つのうちいずれかを併存するケースもある。
けれども、私の母は自己流の解釈で夫を「発達障害」とカテゴライズしてるに過ぎません。
私の母のように「発達障害」という言葉を安易に使う人が今後増えていくんじゃないのかな。
それだけ、「発達障害」の困り事(特性)が、いわゆる定型発達に分類される人たちも程度の差はあれ、持つものだから理解が得られにくいということなんだろうけれど。
ちなみにそんな困った母には
「発達障害の傾向があったとしても、例えば亭主関白で家事育児一切しないという困った人に比べれば大した問題ではないし、発達障害の傾向があることは夫の一側面に過ぎない」
と話しておきました。
どう訴えれば配慮してもらえるのか
私の母は、テレビ等で「発達障害」の知識を多少得ており、そのうえで、夫を「発達障害」扱いし、また孫が「発達障害」であることを否定まではしません。
けれども、母の思う「発達障害」は、一般にありがちな困り事がちょっと多いだけの人。
もしかしたら程度の酷い人もいてその人は大変なこともあるかもしれないけれど、いろいろ工夫すればなんとなかなるでしょ。
そういう人たちを「発達障害」って言うんでしょ?
といった理解なのだと思います。
こういった理解の人たちに、「発達障害」の人は困り事の程度・内容に応じて配慮が必要だと理解してもらうためには、どう説明すれば良いのだろう。
浅い知識で特定の人を「発達障害」とカテゴライズする人を増やさないためにはどうしたら良いだろう。
すごく難しい問題だ。
少なくとも私が個人的に考えていることは次の2点。
・「発達障害」と診断されていなくても、発達障害の傾向を持つ人は程度の差はあれいるのだから、「発達障害」であることを前提に配慮を求めても理解されにくい(つまり得策ではない)。
・適切な配慮があったり、適応しやすい環境に置かれれば、特性による困り事を軽減できることを相手に理解しやすい方法で伝えていく
しりきれとんぼな内容ですが、今回はここまで。
放課後デイサービスでの療育と親が家庭で行う支援の違い
以前、長女の放課後等デイサービス(以下「放デイ」といいます。)の個人支援計画について、放デイスタッフの考え方に賛同できない部分がありモヤモヤしたことがありました。
長女の個人支援計画にある「相手の気持ちに気づく」という目標。
放デイからは、この目標達成のために
「(放デイスタッフが)他人の気持ちを代弁することで他人の気持ちに気づいてもらい、その積み重ねで受け答えのパターンの引出をふやせるよう指導している」
と説明され、納得がいかなかったのです。
続)けれども、自他の別がついていない、かつ自分のやりたい(関心のある)方法で物事を進めたいという気持ちに支配されるので、引き出しが増えても、支配される気持ちを抑えることができないかぎり、「他人の気持ちがわからない」と言われる状況は変わらないと思うんだよな。
— にのの (@ninono0412) 2017年3月9日
引出を増やし、受け答えのパターンを増やすことも必要だけれど、
*他人は自分と違う考えを持っていること
*自分の考えが少数派であること
これを長女が理解したうえで、他人の気持ちと自分の気持ちに折り合いをつけなければ、いくら引出を増やしても一般的な社会ルールを逸脱しない言動を取れるようにならないんじゃないだろうか...
放デイでの療育と家庭で行う療育
後日、前述の私の考えを放デイのスタッフへ伝えたところ、最近の活動(小集団でのゲームが中心)について説明してくれました。
- 活動中、長女の思いと違う方向にゲームが進行したり、急にゲーム展開が変わった場合、それによってどういう変化があるのか、その変化の内容について言語化し、長女に確認することで、長女の不安・動揺を軽減する。
- 長女にとってマイナス方向にゲームが展開した場合は、「どんまい」と声かけし、「負けても次があること」を確認し、百ゼロ思考になりがちな長女がゼロに気持ちが振り切らないように声かけをする。
- 長女が負けた時は、勝った相手に「おめでとう」と声かけをしてもらい、その言葉に相手が喜んでいることに気づいて貰う。
確かに、活動を通して長女が学ぶことは多いだろうと思いました。
そして、放デイスタッフからこのような提案が...。
- こちら(放デイ)では、「社会のルール」をデイの活動を通して長女ちゃんに理解して貰うという役割をもつので、ご家庭では、長女ちゃんの特性理解を促したり、長女ちゃんの特性そのものを受けとめるという役割をされるということで、棲み分けすれば良いのではないでしょうか。
確かに、小集団療育の場で、個人的に長女に特性理解を促すのは難しい。
けれども、集団での社会ルールを理解しなければ、本人の生き辛さに繋がるので、長女にはそれを理解する必要がある。
その手助けをできるのは、実践的に小集団で療育をできる放デイの役割。
そこで 私は、長女の特性を理解してあげられるからこそ、相当な年数がかかるであろう長女の自己理解を支援する役割を担う。
一件落着。
放デイの役割と自分の役割が明確にできて良かった。
*放デイでのゲーム療育では、チーム対戦でストラックアウトをすることが多いようです。
長女の成長
放デイスタッフによれば、長女は1年生の時と比べてかなり成長したとのこと。
★成長がみられる部分★
(1)ゲーム中の作戦会議
- (以前)何をすればわからず上の空で、会議に参加しなかった(T_T)
- (現在)作戦会議中、人の話を聞くようになった(^o^)
(2)ゲーム中に作戦を忘れた場合
- (以前)相手チームに聞こえるような大声で作戦内容を確認した(T_T)
- (現在)こっそり近くのチームメイトに確認するようになった(^o^)
このように、長女は「自分中心の世界」を少しずつ広げ、他人を意識した行動をとれるようになってきているようです(汗)
おわりに
療育は無理に家庭で行う必要はないですし、信頼できる所があれば、むしろ外部に任せるだけで良いと思います。
私も、長女に関してはトレーニング的な家庭療育を行っていませんが、子どもの特性については一番の理解者でありたいと思います。
そんなこと言うほど余裕がない時もあるけど。
発達障害児の親のプロ化の話。私はプロじゃないけど、ある意味自分の子どもの特性については誰より一番知っている。一般的な病気であれば主治医の方が病気について知っているだろうけど、発達障害に関しては主治医や支援者である専門職より熱心な親の方が子どもの特性を理解しているという特殊な世界。
— にのの (@ninono0412) 2017年5月16日
忘れ物を防ぐ機能的でオシャレなランドセル
来年入学の次女のためにランドセル選びをしています。
「ラン活」という言葉が産まれるほど、年々人気あるメーカーほど売り切れる時期が早期化し、購入が難しくなっているようで、遅くとも6月下旬には決めたいものです。
実は、当初どのランドセルも大きな違いはデザイン位で機能的にはどこも変わりないだろうと考えていました。
とーこーろーが、よくよく調べると機能面でも様々な工夫をこらしたランドセルがあるんです。その1つが
「忘れものを防ぐ機能的なランドセル」
続きを読む「百ゼロ思考」と嘘の関係
最近長女が毎日のように嘘をつくので困っています。
嘘の内容はほとんどが取るに足らない内容です。
「嘘は子どもなら誰でもつくよね」と思う方もいるとは思います。
けれども、長女の場合、生来的に「嘘をつかない方が、状況が悪化しない」ことに気づきにくいため「嘘をつかなくて済む方法」を教えようと日々奮闘しています。
パターン1「つい忘れる」
例えば、帰宅後に手を洗っていないのに「洗った」と嘘をつくことがあります
けれども、広い家に住んでいる訳ではないので手を洗ったかどうかは水を流す音がしたかどうかでわかります。
「洗ってないから洗って」と否定的に言うよりは、「洗った?」と聞いた方が良いと思うのですが、結果嘘をつかれ、嘘は良くないと注意する羽目になる。
声かけの方法は難しいですね。
この場合、娘に「手を洗いたくない理由」は特にありません。
ただ、忘れていただけ。
帰宅直後はいろいろやることが重なるので忘れてもしょうがないので、それで長女を責める気はさらさらない。
ただ、長女に気づいて欲しいのは、
①長女の嘘で相手を誤魔化すことは難しい
②「忘れてた!今するね。」と言えば済む
ということ。
今は、「忘れていたら、今からすれば済むことなんだよ」と繰り返し伝えているけど、なかなか「今するね!」の一言を言う事自体が難しいようです。
忘れていても「忘れていた!今するね!」と言えば解決するという成功体験を積み重ねられるよう導きたいと日々奮闘中です。
パターン2「勉強をやりたくない」
何らかの理由で「勉強は大変だからしたくない」という気持ちが長女に起こることは理解できます。
けれども、「やった」と嘘をついても、やったかやっていないかはテキスト等を確認すればわかること。
「(勉強を)やりたくなければその気持ちや理由を話したり、お母さんに相談して欲しい」と伝えています。
自分の気持ちを言語化することが苦手な長女にとって、これは難易度が高い。
けれども「自分が困った状況の時に相手にそれを話すことで、解決できることもある」ことを学ぶことは大切です。
そこで、今は長女にやりたくないことがあるのであれば、妥協案(後から勉強する、量を減らす等)をいくつか出し、長女にそれを選択させるようにしています。
*スマイルゼミがお気に入りの長女。勉強した分だけ専用タブレットの付属アプリ等で遊べるという目的があると勉強ははかどります。
嘘は「百ゼロ思考」が原因?
例えば、長女がタスクをスムーズに行うためにタスク表を作って、視覚的に理解させることも一つの方法だけれど、長女の場合は別の特性の問題が大きいと考えています。
それは「百ゼロ思考」の問題。
①やるべきことをしなかった=自分はダメな人間」(ゼロ)
②やるべきことをした=自分は良い人間(百)
長女はこの二択しかない「百ゼロ思考」。
ゼロに陥ることをおそれる長女は、嘘をつくことで百の人間でいようするのかもしれません。
そのため「謝ったり、やらなかった理由を言えばどうにかなることもある」という中庸的な考えが浮かばない。
さらに、メタ認知がついていないために「嘘をつくことで自分や相手に与える影響」を考えることができない。
メタ認知は一般に10歳位までにつくことが多いようです。
長女は今8歳なので、メタ認知の問題についてそこまで焦る必要はないのですが、おそらくその育ちはゆっくりだと思うので、今から支援者の助けもかりて、サポートしていきたいと思っています。
メタ認知(メタにんち)とは認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。
おわりに
百ゼロ思考を解きほぐすには「中庸的な考えや方法をとっても(自分にとって)問題なかった」という経験を積み重ねることが大切。
時間のかかることだとは思いますが、通所する放課後デイでもいろいろ長女の弱さを熟知しサポートしてくれています。
最近の長女の放課後デイではちょっとした失敗があった時「ドンマイ!」というのが流行っているらしい。
— にのの (@ninono0412) 2017年5月9日
いーぞ、いーぞ!百ゼロ思考な長女に身につけて欲しい概念だ。
今後 家庭では、長女が物事をやったかやらないかで自己評価しないような声掛けを工夫していきたいと思います。
自分と他人との区別をつけるための「納得する」「あきらめる」という過程
先日、長女が通所する放課後等デイサービス(以下「放デイ」といいます)で、今年度の長女の個人支援計画を評価をするための個人懇談が行われました。
個人支援計画の到達目標のうち「相手の気持ちに気づく」という目標については未達成。最近、放デイや家庭でも「自分と他人との区別がつかない」という特性を発揮しがちで、ゲーム中に自分ルールを勝手に作ったり等の問題を起こしているので、未到達なのは予想通り。
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